こんにちは!バツイチ子なし男のけいたです!ようやくこのブログも30を超える記事を書くことができました。ネット情報によると、どうやら100記事くらいは書かないと駄目らしいですが、けいたにはそんな自信がありません・・・(笑)
さて、今回は「離婚鬱の乗り越え方」について書きたいと思います。もう「鬱」という漢字をみているだけで憂鬱になりそうですね!!!
で、実はこのブログ、「精神的に落ち込んだときの考え方」みたいな記事が最近多いのですが、ただ単純にけいたの過去の経験を参考にして闇雲にそういった内容を選んでいるわけではありません。もちろん、けいた自身が離婚を経験し、その後落ち込んだときにどのような考え方をしたら前向きになれたか?というようなことについては日々日記に残したりしていましたので、そこから良さそうなものを抽出して整理して記事にしているわけですが、それとは別の理由があります。
それは、このブログ一番人気の記事です。
以前、ここで「離婚後の気持ちの整理の仕方」や「離婚後に将来が不安でどうしようもないときの考え方」いう記事を書いたのですが、大変ありがたいことに、これらの記事が最もたくさんの方に読まれています。検索ワードは様々ですが、やはり離婚前や離婚後に悩んでいる方々が辿り着いている印象があり、それだけ、本当に大勢の方々が苦しい思いをしていることを再認識させられます。
そこで、今回もある意味内容は重複してしまうのですが、以前の記事とはまた違った視点で離婚後の苦しみの乗り越え方について紹介したいと思います。
目次
理想の幸福像に囚われてはいけない
これは頭ではわかっていても実際に本当にそう思えるまで結構時間がかかります。特に若いうちはとても難しいです。けいたも20代のころは30歳くらいになったら自然に結婚して子供ができて家庭を持つ・・・なんてことを無意識に思っていました。まるで、そういう人生があたかも幸せのテンプレートであるかのように・・・。
もちろん、これは今でもまだけいたはそう思っていますし、そういう理想を描くことは悪いことではありません。ただ、問題はそれを本当に自分自身が心から思っていることなのか?メディアや友人・知人、家族など身の回りの人間がそう言うからいつの間にか植え付けられている思考回路ではないのか?ということです。
世代によって異なりますが、私たち(少なくとも50代くらいまで)は生まれたときからテレビ、新聞、雑誌がありふれており、様々なメディアを介して典型的な理想の人生像を無意識のうちに受け取っています。テレビコマーシャルはその代表例です。たとえば、一軒家に庭やガレージがついていて、自動車があり、家の中はキレイな内装と便利でスマートな家電や家具であふれている。そして、美男美女の夫婦とかわいい子供たちが清潔感のある格好で温かい食卓を囲み、幸せそうな笑みを浮かべる・・・。そんな光景を物心がついたときからずーっと見続けています。
すると、どうなるでしょうか?これは個人的な意見なので「そんなことない!」と思われる方もいるかもしれませんが、けいたはこのような企業のPR活動の一環で行われたある意味悪気のない洗脳が現代人に「理想の人生像」を少しずつ植え付けていると考えています。もちろんけいたはテレビコマーシャルは必要だと思っていますし、決してそれ自体を悪く言っているわけではないです。でも、結果的に今の世の中がそうなってしまっているのではないか?ということを伝えたいのです。また、最近はスマートフォンやインターネットによってさらにこれらの幸福像に触れる機会が増し、SNSなども相まって、私たちをどんどん駆り立てているような気もしています。まるでそのような理想を実現できないことが非であるかのように・・・。
でも、けいたはこれについて問いたいです。
それって本当にあなたの理想ですか?
結局何が言いたいかというと、そういった理想の幸福像に囚われてはいけないということです。離婚後の鬱の理由の一つに、この「決められた幸福像」がかなりあるとけいたは思っています。理想を描くことは大事なことですし、それがあるから人間頑張れるわけなので、それ自体を悪いとは全く思いません。でも、固執し過ぎてはいけないのです。
男女問わず、なんとなく大半の人間は「ある一定の年齢になると結婚をして家族をつくるもんだ」そしてそれが「人間にとっての幸せなんだ」ということを無意識のうちに思い込んでいると思います。子供から大人になる過程で様々な家族を身近なところやメディアを介して見聞きし、自然とそうなるのかもしれません。
でも、結婚したからといって無条件で全員が幸せになれるかといえばそんなことは絶対あり得ません。結婚はゴールではなくスタート、とよく言われますが、本当にその通りで結婚した後の方が結婚することよりもはるかに大事なわけです。それなのに世間はまだまだ「順調な結婚生活=是」という考え方が強いと思います。だからこそ、それが上手く行かなかったときに、理想が崩壊し、激しいストレスを感じ、鬱状態になるわけです。
これに関してけいたは、
自分の幸せを「結婚というイベント」にゆだねすぎ
だと思っています。
何が言いたいかというと、まずは自分一人でも自分自身を幸せにできる方法を見つけた方が良いということです。結婚生活が上手くいっているいっていないに関わらず、結婚しているしていないに関わらず、離婚しているしていないに関わらず、まずは自分が幸福感を得られる状態が何なのかを明確にするということです。自分の幸せの評価を他人を含め、自分意外のものにゆだねてはいけない、とも言えます。
人によっては、この何か自分以外の人、物、事に心を満たしてもらおうとする心のあり方を「依存心」という言い方で表現されることもあるかと思います。つまり、離婚を経験して鬱になるということはある意味「結婚しているという状況によって自分の心を満たしてもらっていた」ということなのです。でも、これって自分で自分の心を満たせていないのです。
依存心について触れた過去の記事
離婚したから依存的になったのではなく、元々依存的だったから離婚した
これは我ながらかなり核心を突いていると思っています。離婚を経験したから自分の幸せを他人にゆだねるようになってしまった、とも捉えることができますが、実は離婚しやすい人って元々他人に自分の幸せをゆだねる傾向にあります。既に離婚を経験された方、思い当たる節がありませんか?実はけいたは自分自身に対してあります。自分の心を配偶者(元妻)に満たしてもらおうとしていたところが多かれ少なかれあります。
もっと深堀りすると、自分の心を他人(元妻)に満たしてもらおうとして結婚した、とも言えます。プロフィールにも書きましたが、けいたは相性よりも結婚という形を優先して結婚してしまいましたので、ある意味その人とずっと一緒に過ごしたいかどうかということよりも結婚=幸せという周りの評価を気にしてしまったのでした。もうその時点で自分で自分を幸せにできるはずがありません。そういう人間は精神的に不安定になることが多く、その時々の心の状態によって相手に対して冷たい態度をとったり、きついことを言ったりするようになります。今思え返せば、けいたも元妻も両方そのような依存的な状態に陥っていました。だから喧嘩もするんです。でも、当事者はなかなか気付かないものなので、けいたは離婚によってこのことに気付くことができただけでもとても良かったと思っています。
自分で自分を幸せにできるようになると無敵になる
自分一人でも自分自身を幸せにできるようになると、人に対してとても優しく接することができるようになりますし、何より精神的に安定します。それにけいたはトラブルが起こっても柔軟になれるような気がしています。
世の中、結婚していようがしていなかろうが幸せそうにしている方はたくさんいます。望んでいる、いない、望んでいた、いなかった、に関わらず、子供がいなくたって幸せそうにしている夫婦もたくさんいます。逆に結婚しても不幸そうな方や子供がいてもとても大変そうな方もたくさんいます。
結婚するのが当たり前、子供をつくるのが当たり前、夫婦は仲良くしないといけない、離婚は悪・・・そういう固定概念のみたいなものが人間を呪い、不幸にするのです。もっと言うと、自分はもう歳だから恋愛はできない、歳だから勉強できない・体力がない、などなどもう無意識のうちに自然に植え付けられている固定概念は本当に多くて、同時にそれらに囚われすぎている人も多すぎます!!!そうやって「こうあるべき」とか「こういうもんだ」といった悪しき考え方が蔓延してるからみんな鬱になるんだと思います。
今思い返せば、けいたも離婚後はある種の鬱のような状態に陥っていましたが、このことに気づいてからはかなり精神的に楽になりましたし、人に対しても穏やかな気持ちで接することができるようになりました。約2年ほどかかりましたが・・・(笑)。でもこれはある意味離婚しなければわからなかったことでもあります。
結局、自分が幸せかどうかは自分自身が決めるものなんですよね。そんなことは初めからわかっているつもりでも、人間はいつのまにか、大人はこうあるべき…とか、他人と比べて自分はどう…とか、そういったことでがんじがらめになってしまい、少しでもその道から逸脱すると激しいストレスで苦しみます。
そういう意味で言うと、浮気や不倫だって別にお互いがよければしてはいけないという明確な理由はないわけです。どちらか一方を傷つけたり悲しませたりしてはいけないから浮気や不倫はしてはいけないのであって、どちらにもダメージがなくむしろ幸せで、また当事者以外にも迷惑がかからないのであれば問題ないことになります。ただ、基本的にはほぼ100%の確率で浮気や不倫をされた側が大きな心の傷を負ったり、その周りの人間が迷惑を被ることになりますので、結果的にダメなことが多いのですが・・・(汗)。
繰り返しになりますが、この理想の幸福像というものは、特にSNSによって助長されてしまっているような気がしています。SNS上での友人の結婚報告、出産報告、新居購入報告、出世報告、などなど。でも、SNS上での友人の離婚報告、流産報告、火事報告、訃報、リストラ報告、などなどを聞いたことはほとんどありません(本当にごくたまにありますが・・・)。
けいたは離婚後SNSを止めました。離婚前からもともとSNSに自分の出来事をアップするタイプではなかったのですが、たまに開くと友人の幸せそうな記事ばかりだったので、そういう情報は直接会って聞けば良い、本当に仲のいい友達だけで良い、と思ってアカウントだけ残して普段見ないようにしました。スマートフォンに入れていたSNSアプリなども全て消し、パソコンでもいちいちログインしないといけないようにしました。そうすると次第にSNSを見る機会が減り、他人の幸せアピールも見なくて住むようになります。
自分以外の人、物、事に心を満たしてもらおうとするのではなく、自分で自分自身を幸せにできる方法、離婚後鬱に悩まされている方は、是非それを見つけることをおすすめします。趣味でも仕事でも何でも構いません。肝心なことは「自分ひとりでも」とういうことです。そうすると、仮に将来新しい恋人や家族ができたときにも相手に依存することなく接することができるはずです。自分が当事者になるとわかるのですが、そういう人って居心地が良いんですよね。自分が相手に何かしてあげなくても相手は勝手に満たされてくれているので(笑)。そういう人間を目指したいです。
色んな経験をした方が人生は面白い
この考え方も頭ではわかっていますが、本当に心からそう思えるまで時間がかかります。けいたは上記と同じく2年ほどかかりました(笑)。おそっ!
離婚ってすごい悪いイメージがまだまだあるかもしれませんが、異性と恋に落ち→結婚し→別れる、というゆりかごから墓場までを網羅しているわけです。これってすごい良い経験だと思いませんか?大金を払ってもこんな経験はなかなかさせてもらえません。よく考えたら当たり前なんですが、付き合って結婚してその後離婚してくださいなんて頼んでも受け入れてくれる人なんていませんからね。
でも、だからこそ離婚は貴重な経験であるわけですし、だからこそ人生は豊かで面白いわけです。結局、人間は自分の人生が幸せだったか不幸だったかを死ぬ間際にならないと判断できません。生きている間はそんなのわかりませんからね。その瞬間瞬間に一喜一憂してしまいがちです。でも、離婚したって結果オーライであれば全く問題ないわけです。人生の最後を迎えたとき、先程も述べたように自分で自分の心を満たすものがたくさんあればそれって素晴らしいと思いませんか?
けいたは離婚後2年くらいしてから、ようやく「少ないながら本当に仲の良い友人、やりがいのある仕事、たくさんの没頭できる趣味」などがあるので、たとえ離婚したって自分は幸せ!と思えるようになりました。そうなると世の中明るく見えてきます。皆さんにもそう言えるような日が早く来ることを心より願っています。