離婚経験者だからこそ思う良好な関係を築くために大切なこと

こんにちは!バツイチ子なし男のけいたです!最近かなり暖かくなってきましたね!春がくるとそれだけで気分がウキウキします。

さて、今回は離婚したけいたが今振り返って思う「良好な関係を築くために大切なこと」について書きたいと思います。

はじめに言っておきますが、夫婦関係に正解はありませんなので、間違った夫婦関係というものも存在しませんそれでも関係が崩壊し、離婚に至ってしまったということは正解でもないし間違ってもいないけれども、結婚をしてみて人生を共にする上で相性が合わないことがわかった、あるいは、方向性が違うことがわかった、ということに過ぎません。

でも、そうはいっても夫婦として良好な関係を築くためにお互いがこういうことに気を付けていれば少し状況が変わっていたかも?と離婚を経験した今だからこそけいたなりに思えることがありましたので、そのような個人的な意見を書き記してみたいと思います。

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目次

「異性として好き」を通り越してからが勝負

以前、ダウンタウンの松本人志さんが、とある番組でこんなことを言っていました。

本当の夫婦はセックスレスになってからでしょう。

けいたは別に松本人志さんのファンでもありませんし、ただの芸能人の一人としか思っていないのですが、この言葉を聞いて何だか妙に響いてしまった自分がいたことを今でも覚えています。

何が言いたいのかというと、よく言う恋愛と結婚は違うというやつです。もちろん、お見合い結婚のように初めから結婚前提でお付き合いをするような場合もあれば、自然に出会って恋愛の延長線上に結婚がある場合もありますので、入口が恋愛である夫婦は多いです。

でも、男女というものは本当に幸か不幸か面白くできていて、ご存知のように惚れているうちは相手に盲目になってしまいます。これは人間の脳内にドーパミンと呼ばれるある種の快楽物質が生み出されているからなんですが、そのせいで人間は異性(生物)として好き=人生のパートナーとしても相性が良い」と錯覚しがちになります。

そう、恋愛初期で誰もが経験するアレですね。これは決して悪いことだけではなく、生き生きして活気がみなぎったり、そのおかげで見た目も若返ったりするので、良いことももたらします。特に女性の場合、恋をすると突然キレイになることがあります。皆さんの周りにもいらっしゃるのではないでしょうか?

ただし、このとき男性も女性も冷静さを犠牲にしています。もうこの人しかいない!なんて思ってしまうんですよね。その相手のことを深く知ってもいないのに・・・(笑)けいたもそういう経験があります。

だからこそ、恋人同士だろうが夫婦だろうが「異性として好き」を通り越してからが勝負なわけです。この異性として好きの中には性的に好きかどうかも含まれています。つまり、身体の関係を結びたいと思うかどうかということです。でも、性的に魅力があったからといって人生のパートナーとして相性が良いかどうかは別問題です。

もちろん、逆に男性も女性も全く異性として性的な対象として見られない場合、性格の相性が良かったとしても恋愛に発展しないケースもあります。そのため、恋愛や結婚って本当に難しいな・・・とけいたは思います。

では、結婚相手として相性が良いかどうかを判断するためにはどうしたらいいか?

けいたはやはり時間しかないと思ってます。この時間というのは共に過ごす時間という意味での時間です。付き合っていてもほとんど会わなければ、時間だけ経っても意味がありません。

一般的に恋が冷めるのは4年と言われています。でも、けいたは一緒に過ごす時間をできるだけ増やして意思疎通を図る機会を密にすれば1年や半年に縮められると考えています。同棲という手もありです。

そうすると徐々に冷静さが戻ってきて相手の嫌なところが見え始めます。そうなったときが本当の勝負です。ここから良好な関係を築くためのお互いの人間性の真価が問われます(大袈裟ですが)。

気づいて!ではわからない

では盲目状態から脱出し、冷静さを取り戻した頃にパートナーとどう接すればよいのか?やっぱり好きじゃなくなったからサヨナラしよう・・・、そういう人もいるかもしれません。もしかしたら離婚と再婚を繰り返す人はそのような感覚を持っているのかもしれません。

でも、けいたはもう二度とあんなに辛い思いをしたくないし、そのせいもあってか良好な関係構築について色々と考えふけったり、自分なりに勉強するようになりました。そんななかで気づいたことがあります。

まず、その瞬間しゅんかんで感じたことを我慢して溜め込まずに必ずパートナーに伝えることが大事だと言うことです。こんなことを言ったらパートナーが傷つくんじゃないか・・・とか、今言うタイミングじゃないんじゃないか・・・などなど、ある程度の大人になると自然に気遣いができるようになるため、このような考え方になりがちです。

もちろん、これは一般的には常識的で素晴らしい対応です。でも、夫婦関係になると、逆効果だったりします。我慢は次なる我慢を生み、どんどん蓄積していきます。「あの人のああいいところが気に入らない・・・、自分はこんなにも考えているのに・・・」とスッキリしないまま不満がたまっていきます。

パートナーがあなたの態度を見て勝手に気づいてくれるならこの問題は解決するかもしれません。でも、そんな人はサイコメトリー能力でもない限りあり得ません。阿吽の呼吸や以心伝心なんてほぼゼロに等しいほどかなり稀なのです。

夫婦なら気づいて当たり前、は基本的にあり得ません。良好な関係を築いている夫婦ほどよくコミュニケーションをとっていてよく喧嘩もしています。でも、喧嘩するほど仲が良いとはよくいったもので、やっぱり些細なことでも思ったことを包み隠さず相手にしっかりと伝えていると、仮に喧嘩になったとしても大怪我をせずに済みます。

実は、第3者から見て仲が良さそうな夫婦ほど言いたいことを言い合えずギクシャクしていることが往々にしてあります。「あんなに仲良かったのに・・・」と思っていた夫婦が数年後離婚していた、なんてことが皆さんの周りでもありませんか?

やっぱり、多少傷つく覚悟をして、リスクを負ってでも思ったことを言い合い、互いの気持ちを確認し合うというのはとても大事なことなのです。

相手の気持ちを理解する必要はないが、気持ちそのものを知ることは大事

けいたが結婚していたとき、できていなかったことでもあります。パートナーと一緒の時間を過ごす中で色々な出来事が起こったとき、それらに対する相手の気持ちを理解することはとても難しいです。いくら仲良しで結婚したからといって、所詮は他人なので完全に理解し合うなんて不可能です。

では、理解しあっているように見える夫婦は何が違うのか?

けいたはこれに関して、正確に言うと「本当は全く理解し合えていない」と言うのが適切ではないかなと思っています。じゃあ、まやかしか!と言われるとそうでもありません。

このような場合、気持ちを理解はしていないが、気持ちそのものを知ってはいるというパターンが多いように思います。つまり、

こういうとき、君はこう感じるんだね・・・
全く理解できないけど。

で良いということです。

夫婦と言えど、全く他人同士なので同じものや同じことを見たり聞いたりしても、いつも自分と同じように相手が感じているとは限りません。でも、無理して理解しようとか相手に合わせようとか思わなくて良いということでもあります。

幸せのハードルを下げること

色々言いましたが、けいたは結局これに尽きるような気がしています。

上記のように、パートナーがある出来事に対してどういう気持ちを抱く人間なのかを、お互いが知っているとそのことを理解しあえていなくともこの人はこういう人間なんだと存在を認め合うことはできます(もちろん、そうやってお互いを知った結果、さすがに自分の許容範囲を逸脱するようなことがあれば関係解消、つまり離婚ということも十分あり得ます)。

ただ、これには一つ問題があります。

理解はできなくても、いざお互いがどういう人間かを知れた時、そういう関係じゃなければ心が満たされない状態になってしまうリスクもあるということです。人間誰しも承認欲求というものがありますが、その承認欲求をパートナーに求めてしまうとどちらか一方がもう一方に依存したり、あるいは両者が共に依存し合う関係になってしまいます。これでは対等ではありません。

諸行無常ではないですが、人の気持ちや人間同士の関係なんて、形あるものではなく、とても曖昧なもので、時間とともに刻一刻と変わっていきます。なので、仮にそうなったとしても、同じような関係を継続できるかということが重要になってきます。

ちょっと話は逸れるのですが、けいたは大学時代に恩師からあることを言われました。それは、

人間なんて若いうちはみんな
一度ダメ人間になっておいたほうが良い。

というものでした。

正直、この言葉を聞いた時、けいたはよく意味がわかりませんでしたが、恩師は続いてこんなことを言っていました。それは、

誰しも物事がうまくいくと、
次第に些細なことで満足できなくなる。

というものでした。これに関してけいたは今ではとても納得しています。

実は、けいたが元妻と結婚したときは人生の絶頂を迎えていたといっても過言ではないほど物事がうまくいっていた時期でした。また、逆に元妻も同じように上手くいっていた時期だったように思います。

当時、けいたは転職をして大きなステップアップに成功していました。給料も大きく上昇し、何より人脈が大きく広がった時期でした。たくさんの方からも結婚だけでなく仕事についても祝福され、このまま自分はずっと幸せに生きていける!と希望に満ちあふれていました。

元妻は新卒で入社した職場から転職はしていなかったものの、もともとその職場は労働環境がよく、とても人気で入社倍率が高かったため、意気揚々としていました。また、収入を惜しみなく美容やファッション、お稽古、趣味につぎ込んでいたため、どんどん綺麗にもなっていました。

これはとても素晴らしいことです。でも、当時は気付けませんでしたが、振り返ればけいたや元妻はお互いが次第に些細なことでも満足できないようになってしまっていました。本来なら、雨風をしのげる家があって、毎日3食食べられて、服もあって、仕事もあってとても満たされているはずなのに、そういうことには目を向けず、欠けていることばかりを気にしてそれを埋めようと必死になっていたように思います。そして、少しでも上手くいかないとお互いが相手のせいにし合ったりしていました。

色んな意味で未熟だったと思います。そして、奇しくも大学時代に何気なく耳にした人間なんて若いうちはみんなダメ人間になっておいたほうが良いという言葉が10年ほどたって心に刺さることになりました。そう考えるとけいたにとって離婚はある意味とても良い薬でした(Steve Jobsも似たようなことを言っています)。バツイチだからといってダメ人間と決めつけるのはおかしいですが、離婚を経験して毎日の些細な出来事に嬉しく感じたり、有難みを感じれるようになりました。

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そのような感覚を身に着けた上でパートナーとお互いのことをよく知り、コミュニケーションを頻繁に取り合って思ったことをしっかり伝えあっていれば次第に良好な関係になっていくのではないでしょうか?けいたはまだこれについて模索中ではありますが、いつか何かしらの自分なりの答えに辿り着きたいと思っています。皆さんもそうなることを願っています。

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コメント

  1. はりす より:

    はじめまして。30代前半男です。
    すごく長いのですがもし良かったら何かアドバイスいただけませんでしょうか?
    最後、自分が良しと言えば離婚できてしまう状態に来ています。子供はいません。

    このブログの記事ほとんどが当てはまってて笑っちゃいました。
    こまで文句は無いのですが、同棲時代に相手からそろそろ…と言われて適当に返事したら翌朝、向こうの両親に伝わってました笑

    • けいた より:

      はりすさん、はじめまして。コメントありがとうございます!
      それほど結婚したいと思ってもいなかったのに結婚されたということでしょうか?
      まず、それでも結婚されたということは何かしら縁があったのだと思います!
      でも、夫婦生活ってやっぱり相性100%なんて有り得ませんので、自分にはもっといい人がいるのでは?なんて段々と思い始めてしまいます。

      じゃあもっと自分と相性の良い人がいるかと言われると、実際のところはいるかもしれないし、いないかもしれません。
      それは誰にもわかりません。ごめんなさい。
      では、何が言いたいかというと、そういうリスクを負ってでももっと良い人を見つけたい!とどうしても強く思ってしまうようなら離婚しても良いということです。
      でも、実際離婚した人間の感想としては、そんな人まずいません(笑)
      まずは今の奥さんを本当の意味で大事にできているか、をもう一度考えてみることをおすすめします。
      それでも別れに至ってしまったなら仕方ありませんが、今の奥さんを大事にできていない人間が離婚後の次の恋愛で新しい彼女を大事にできるとはあまり思えません。
      もちろん、人によりますのでケースバイケースかと思いますが、今回のパターンであればそういう傾向があるようにも思います。

      こんなお返事でいかがでしょうか?生意気で恐縮です!
      どういう選択をするにせよ、はりすさんに幸せな未来が訪れることを願っております!

  2. はりす より:

    早速のコメントありがとうございます。
    色々背景など書こうとしていたのですが、すでに本質っぽいアドバイスをいただけちゃったので
    適宜書くことにします笑

    まず、強引だったとはいえ合意自体は自分の決断ですし、楽しいこともたくさんあったので後悔はありません。
    自分が考えているのは本当にこの記事のとおりで、上記の合意含めこれまでの生活で我慢しすぎていたなという点です。
    相手に対してこちらの不満をぶつけることはほぼありませんでした。

    これが数年に一度爆発してしまうというのが自分のパターンなのですが、
    昨年相手から「私はそれを直せない。我慢できないのなら離婚も仕方ない」と言われたのが本格的に離婚を考え始めたきっかけです。
    ただ、「こんなに我慢しているのに」とか「直して欲しい」という感情はなくて、
    この人はこういう文化の人なんだなとは思っています。

    そのように言われたことをきっかけに、私からは深く関わらない(会話も最小限、性生活なし)ようにして生活してきました。
    妻はそのような生活そのものにも不満だったのですが、
    思いが爆発するきっかけとなったのは私のバッグに精力剤のようなものが入っていたことを見つけたことです。
    私のことは放置してるのに、風俗に行くのは寂しすぎるということです。
    (薬自体は妻との性生活のために買ったものです)

    そして相手から言われたのは、もう二度と風俗へは行かないか、私のことを一生愛せるかということです。
    もちろんその場でYesと言うことはできたのですが、未だ回答できていません。

    正直、心から愛すことはできないと思います。もちろんここでYesと回答して収めることもできるのですが、
    これってまた我慢してる(嘘をついている)のかなという気持ちもありますし、
    同じことを繰り返してまた事件になるんだろうなと思っています。

    ここも記事のとおりで、異性としては好きだけど、一生過ごす相手としては難しいのかなというのが現時点での結論です。
    ただアドバイスにもありましたが、次の人と結婚できたとしても同じことになるということも理解できています。
    けいたさんは、なんとなく好きな人と「上手な」夫婦生活を送っていくことをどう思いますか?

    • けいた より:

      お返事ありがとうございます。
      率直な意見を申し上げると、夫婦の会話の中で「離婚」というキーワードが出てくると、一気に本当の離婚に近づいてしまうというのが私の印象です。たとえそれが本気でなくても、言われた側や言った側のどちらかが本当に離婚を意識してしまって、別れた後のことを頭の中でシミュレーションしてしまう気がします。すると人間面白いもので、初めは冗談半分だったとしても「ほんとに別れたら楽になるんじゃないか?」と思い始めてしまい、無意識のうちに離婚に向けた行動をとってしまいます。ついつい相手を怒らせる態度をとってしまって、「良いんだね?本当に離婚だよ?」と相手にかまをかけるような行動もとってしまいがちです。そうなるとお互い思いやることなんて難しくなります。やっぱりウソでも離婚というキーワードは出さない方がいいと私は思います。

      異性としては好きだけど一生過ごす相手としては、、に関しては、正直うらやましいです。一生過ごす相手としては好きだけど、異性としては難しい・・・というのもまた辛いです(笑)。だいぶ失礼ですけどね。
      なんとなく好きであるということは十分夫婦生活を続ける理由になると私は思っています。私はどうしてもそうしなければならない理由がない限り離婚には反対しています。そのあとのダメージがでかすぎますからね(笑)
      なので、少しでもお互いに好きな気持ちがあり、完全に関心がなくなったりしなければ共同生活は十分可能ですし、夫婦生活は年を追うごとに変わっていきますので(お互いの愛情も)、よっぽどお互いの変わらない本質的な人格に問題がなければ(犯罪や信頼関係に関わる問題など)、もう少し続けても良いのかな?とは思います。
      はりすさんはまだお若いですし、これから先いろんな苦難が訪れると思います。そのときに夫婦の真価が問われますので、そのときに協力関係が築けるか?だと思います。そういう苦難が訪れたときにどちらかが裏切るようなことをしてしまうと、一生引きずって夫婦生活を続けることになりますので結果的に離婚につながるかもしれませんが、もしそこでお互い支え合うことができれば一生モノの信頼関係になりますので、逆に夫婦関係が回復するなんてことも十分あり得ると思います。

      取り留めのない文章になってしまいましたが、私の印象は以上になります。