今日は日本の女性が置かれている状況について少し書きたいと思います。それは、けいたが離婚を経て子供を持つことや育児に関して物凄く大事だと感じたことです。特に世の男性全員に当てはまるかもしれませんし、自分がすごく反省すべき点の一つでもあります。
けいたには元妻との間に子供がいなかったのですが、そもそも子供をつくろうとしていませんでした。当時のけいたは、世間の人が何となくいつのまにか家族を持って子供を授かっているように見えていたので、それはごく自然のことで当たり前のように苦労なく皆がそうするものだと思っていました。
ところが元妻は全く子供を欲しがろうとしませんでした。このとき初めて
女性≠みんないつかは子供を欲しいと思う
であることにけいたは気づきました。特に仕事を頑張りたい女性の間ではこの傾向がより強く出るかもしれません。元妻も例外ではなく、結婚当初から完全な出世街道を突っ走っていました。そのため、親戚などから「子供はまだ?」という質問をされるたびにとてもつらい思いをしていたようでした。
当時のけいたはこのことが全く理解できず、なぜなんだろうといつも不思議に思っていました。でも、離婚してからは「女性が思う子供が欲しい」と「男性が思う子供が欲しい」は全く意味が違うのだということに気づくのでした。
男性が思う「子供が欲しい」は、
休日に気が向いた時や平日に少し手が空いたときだけ子供と戯れるだけで良い父親ヅラできるのならば子供が欲しい
という意味で言っているケースが多いのではないかと思います。
自分は仕事に専念して、空いた時間に自分の都合で育児の手伝いをするだけで育メンと評価されるのであれば子供が欲しい…そんな風にも聞こえます。もちろんこれは育児だけでなく家事やその他近所付き合い、両親との付き合いなどにも当てはまります。
でも、女性が思う「子供が欲しい」は、
毎日子供の世話と仕事の両立でクタクタになって、職場に迷惑かけて後ろ指さされて・・・でも欲しい
という意味を含んでいるような気がします。それだけ自分を犠牲にする覚悟をしているというわけです(※もちろん人によって異なります)。
こんなとき男性はついつい「手伝うよ」と言ってしまいがちです。でも、 保育園の送り迎えや寝かしつけ、ご飯を食べさせること、入浴、子供の体調不良の時に早退して看病できるか等、そのほか細かいことを考えると自分の都合で子供の世話など絶対にできないわけです。とても「手伝い」程度のことではダメなわけです。
育児をする男性に対して育メンだのなんだの言われるような時代ですが、子供がいれば男性であろうが女性であろうが育児をするのは当たり前なのでおかしい言葉です。人間なら毎日食事をしますが、そういう人に対して食メンとか、呼吸をする人に対して息メンとか呼んでいるようなものです。
男性も自分のライフスタイル(特にワークライフバランス)を変え、子供の世話に当事者意識を持って取り組まないと良い夫婦関係は続かないと思います(どれだけ自分の日常生活を犠牲にして子供に捧げられるかということ)。
人口が減る日本では、これから女性も社会で活躍しなければならない・・・そんな声をよく耳にします。男性が仕事だけしていても良かった時代は終わったんだと思います。でもまだまだ昭和的発想を持った男性の全体に占める割合が高いので男性の意識や社会がなかなか追いついていない・・・というのが現実かもしれません。けいたも離婚という経験をするまではあまりこのようなことを意識しなかったので自分と同世代であっても理解のない男性(というかそういうことを考えたこともない男性)が多いのかもしれません。